従軍慰安婦について
韓国で女性の大学教授が「帝国の慰安婦」という本を書いて今侮辱罪で訴えられている。一方、釜山の日本領事館の前にまた慰安婦の像が建てられたらしい。慰安婦の像は幼気な少女を象ったものらしいが先の大学教授は慰安婦の中に少女はいなかったと書いている。だから訴えられたのだろうが彼女がこの本の中で言わんとしたのは、韓国が「少女まで慰安婦にした」と言えば、日本は「否、そこまで酷いことはしなかった」と反論するから事実を明確にすることから始めないと問題解決にならないと言っているのだろう。少女まで強制的に慰安婦にしたのか否かは判らないがこの本を読むと我が国はまず謝る必要があることを痛感させられる。それは韓国にというより慰安婦だった人たちにだが・・・。そのうえで、慰安婦の像は止めようがないから建てたいだけ建てさせたらいい。「過ぎたるは及ばざるがごとし」というからいつか彼らも止めてくれるだろう。
お前生意気だ
中学生のころ祭りの夜に町のチンピラから「お前生意気だ、ちょっと来い」と言われて暗がりに連れていかれて2・3発殴られたことがある。その時殴られるとは思ったが殺されるとは全く思はなかった。60年位前の話だ。ところが今は「ちょっと来い」と言われたら殺されることを覚悟しなければならないようだ。
子供のころ、遊びの中でよく「死刑」という言葉を使っていた。だから死刑というものが潜在意識の隅っこに住み着いていてブレーキの役割を果たしていたのかもしれない。今の子供は死刑になることはないことを知っている。死刑という言葉は彼らの辞書にはない。だとすれば、死刑制度は必要だと思うのである。
忘年会
ある会社のある部の忘年会。幹事を指名されたある課長はグルメ雑誌を調べたり若い部下の意見を聞いたりして店と予算などを決めた。ところが、幹事を指名した部長が使い込みがバレて辞めさせられ新しい部長が来ると「店が気に食わない」「予算が高すぎる」と言い出し(店と特別な関係があるんじゃないの)と疑われたりもした。そこで、再びいろんな人が集まって見直した結果「店は変更しないが予算は料理を一品削り一人当たりの負担を500円安くすることになった。次の日の朝礼で部長は高らかに言い放った「私、改革派だから」と。