コメンテーター

ワイドショーが有名な芸能人夫婦のもめ事を例によって面白おかしく報じている。旦那が不倫しているとか財産を奪って離婚しようとしているとか奥さんが泣きわめいているからだ。

「不倫したり悪いことをする旦那とは離婚。この奥さん金持ちらしいから生活には困らないでしょう」とコメンテーターが言う。「それじゃ番組が続かない」司会者が困って言う。「お前二度と呼ばない」

 

叩くものが消えちゃった

 東京都議選自民党惨敗。小池さん、内田・石原・森は叩き終わった。唯一叩く相手として残っていたのが自民党。それが消えちゃった。前の3人は盛りを過ぎたドン。自民党都議団は現役だから少々手強かった。叩くものがなくなると困っちゃう。叩き棒を持って颯爽と歩くからオバチャンたちに人気があったのに。それに、都議会でバトルがなくなるとテレビが映してくれなくなる。小池さん勝ちすぎちゃった?

 ワイドショーも都議会のバトルを面白おかしく伝えながら視聴率を稼いできたから都議会が静かになるのは困るだろう。そこでこれからは小池叩きに専念?

 自民党は大負けしてよかったと思っている。本気で反省するしかないからだ。でなければ国民に見放されますよ。民進党は少しの負けだから反省しないそうです。

巨人13連敗只今5位

物心ついたころから巨人ファンだった。まだ現役で働いていたころは仕事を終えると急いで家に帰り巨人の試合を見るのが何よりの楽しみであった。あったのだが、松井がメジャーに行ったころから巨人の試合が年々つまらなくなっていった。そして今季はあれよあれよと負け続け先制されると負けが決まってしまう有様だ。だから最近は先制されるとチャンネルを変えることにしている。

バッターには打てそうな人と打つかもしれない人と小林君のように打てそうにない人がいる。今の巨人には打てそうな人は5人しかいない。だからこの5人を1番から5番までに集めよう。だから2番はヨウ・ダイカンだ。長野ー陽―坂本と並べ3人とも足が使えるからバントなどせずジャンジャン走らせる。これで広島の上位打線にも太刀打ちできるだろう。では6番からの人はちょこんと当てたりせずメジャーのようにとにかく強く振ることに専念してほしい。小林君などはそれで相手投手をビビらせてくれればそれでよしとしよう。

墓参り

 還暦を過ぎたころ分家のものは本家の墓には入れないことを知った。ならば自分の骨は海にでも撒いてくれと思ったがそれも結構面倒らしい。そこで昨年自分のための墓を買った。そして空だと寂しいから亡母の骨を分骨してもらい納めた。納めると盆と正月くらいは墓参りをすることになるが、お盆の墓参りは大変なことを知った。墓地への道が墓参りの車で混雑するのである。

 もうひとつ思ったことがある。反抗期真っ盛りと思われる若者たちが神妙な顔をして両親と一緒に先祖の墓にお参りしているのを見たとき墓参りは家族を取り戻す役割を果たしているのかもしれないということだ。海に撒くより墓を買ってよかったと思ったものである。

いじめについて思うこと

 いじめられていた子が自殺する。マスコミが騒ぐ。悪いのは教師、いや教育委員会

えッ!悪いのはいじめた子じゃないの。いじめたのは良い子・悪い子・普通の子のどれ?。多分いじめている子は悪いことをしていると思ってなさそうだ。だから犯人は普通の子。こいつらにガキのうちから叩き込め。「いじめは悪いこと。大勢でいじめるのは卑怯者のすること。いじめ続けると罪になる」と。

政治家という仕事

 サラリーマンとして40年ほど平凡に働いてきた。やがて定年を迎え老人と言われるようになると乗り古した車のようにあちこちの部品が痛み病院通いが増えてくる。若くて元気だったころは医者に感謝の念を覚えたことはなかったが今は治療してもらうたびに「ありがとうございました」と言うようになった。サラリーマンはせいぜい自分と自分の家族しか幸せにできないが医者という仕事は多くの人を幸せにできる。

 同じように、頑張れば多くの人を幸せにできる仕事がある。教師であり政治家である。

 最近、政治家のおかしな言動が問題になっているが「多くの人を幸せにしたい」という政治家としての基本的な思いが欠如しているのだろう。

 

会話を楽しむ

 中学時代の親しい仲間数人と年に3~4回ほど食事会を今でも続けている。

以前は夜居酒屋などで行っていたが後期高齢者となってからはファミレスでの昼食会に変更した。ファミレスのいいところは時間に制限されないところである。従って、12時に集まって3時間くらい昼食を食べながらおしゃべりを楽しむのが通例となっていた。

 ところが前回は違っていた。いつもの通り3時ころ解散したのだが帰っていったのは男だけで女性陣はそのまま居座ってさらに2時間ほどおしゃべりを続けたらしい。

 女達がこんなに長い時間会話を楽しむことができるのは思うに「生活の話」をするからだろう。男どもがする趣味とか時事問題などでは意見の違いがあって会話を楽しむということにはならない場合が多いが生活の話だと意見の衝突は起こらないのだろう。

 会話を楽しむことができる女どもはうらやましい限りである。