お前生意気だ

 中学生のころ祭りの夜に町のチンピラから「お前生意気だ、ちょっと来い」と言われて暗がりに連れていかれて2・3発殴られたことがある。その時殴られるとは思ったが殺されるとは全く思はなかった。60年位前の話だ。ところが今は「ちょっと来い」と言われたら殺されることを覚悟しなければならないようだ。

 子供のころ、遊びの中でよく「死刑」という言葉を使っていた。だから死刑というものが潜在意識の隅っこに住み着いていてブレーキの役割を果たしていたのかもしれない。今の子供は死刑になることはないことを知っている。死刑という言葉は彼らの辞書にはない。だとすれば、死刑制度は必要だと思うのである。