大晦日

 去年の大晦日は長時間にわたって民放がクイズ番組を放送してくれたから寂しい思いをせずに過ごすことができた。ただし、案外つまらないクイズ番組だった。驚いたことにビッグスター高橋英樹君は7時間の間一問も答えなかったのである。高橋君だけではない大勢の出演者の半分くらいの人がそうだったのである。答えなかった人が悪いのではない。番組の内容が悪いのだ。企画した奴の顔が見たいと思ったほどである。

 途中、コマーシャルタイムにチャンネルを変えて紅白を見たが相変わらず「聞かせる」ものでなく「見せるもの」のようだった。昔、業界で「歌謡ショー招待セール」が流行った時期があって少しだけ係わったことがある。だから、一流歌手の歌を生で聞きながら「ジーンときたり」「鳥肌が立ったり」したものである。40%の人が紅白を見たらしいがどう感じたかを聞いてみたい。同時にかっての一流歌手の感想も。

従軍慰安婦について

 韓国で女性の大学教授が「帝国の慰安婦」という本を書いて今侮辱罪で訴えられている。一方、釜山の日本領事館の前にまた慰安婦の像が建てられたらしい。慰安婦の像は幼気な少女を象ったものらしいが先の大学教授は慰安婦の中に少女はいなかったと書いている。だから訴えられたのだろうが彼女がこの本の中で言わんとしたのは、韓国が「少女まで慰安婦にした」と言えば、日本は「否、そこまで酷いことはしなかった」と反論するから事実を明確にすることから始めないと問題解決にならないと言っているのだろう。少女まで強制的に慰安婦にしたのか否かは判らないがこの本を読むと我が国はまず謝る必要があることを痛感させられる。それは韓国にというより慰安婦だった人たちにだが・・・。そのうえで、慰安婦の像は止めようがないから建てたいだけ建てさせたらいい。「過ぎたるは及ばざるがごとし」というからいつか彼らも止めてくれるだろう。

 

お前生意気だ

 中学生のころ祭りの夜に町のチンピラから「お前生意気だ、ちょっと来い」と言われて暗がりに連れていかれて2・3発殴られたことがある。その時殴られるとは思ったが殺されるとは全く思はなかった。60年位前の話だ。ところが今は「ちょっと来い」と言われたら殺されることを覚悟しなければならないようだ。

 子供のころ、遊びの中でよく「死刑」という言葉を使っていた。だから死刑というものが潜在意識の隅っこに住み着いていてブレーキの役割を果たしていたのかもしれない。今の子供は死刑になることはないことを知っている。死刑という言葉は彼らの辞書にはない。だとすれば、死刑制度は必要だと思うのである。

自衛隊について

 災害に見舞われたとき自衛隊ほど頼りになる存在はない。辻元先生ももそれは認めざるを得ないだろう。

 東北で自衛隊が救済に当たった時子供たちが「自衛隊さんありがとう」という横断幕を掲げたことがある。自民党が言うように国防軍に名前を替えると子供たちは「国防軍さんありがとう」と言うのだろうか?。

 自衛隊の海外での活動範囲を広げる動きの中で野党は「隊員の中に死者が出る」と言って反対した。ならば、警察官とか消防士とか命がけで働いている人達にも「死者が出ないように働いてください」と言うのだろうか?。

国会のヤジ

 国会議員は意見を言うのが仕事。だけど公式の場で発言する機会はそれほど多くはない。だからヤジは非公式に意見を言っているのだ。しかし気の利いたヤジはあまり聞かない。民進党の細野議員が不況だと政権批判をするのを聞いていた時思わず私は「そうだ彼女も失業中だ」とひとりテレビに向かってヤジってやった。当時、不倫相手の女子アナはテレビから干されていたのである。

 民進党にだみ声の議員がいる。彼がヤジっている時の騒音は神戸で警察とやくざがもみ合っている時の騒音と酷似している。一度録音して聞いてみるとよい。

二刀流

大谷選手の二刀流が話題になっている。今シーズンは投手としては勿論打者としても一流であることを証明したのでファンの期待は高まる一方のようだ。本人は能力を両方で発揮したいと思っているようだから否定はしないが、だとすれば金田投手の400勝も王選手のホームラン記録も、そしてイチローや張本の安打数も超えることはできないだろう。「記憶に残る選手」を目指すか「記録が残る選手」になるか?まさか両方かい!

忘年会

 ある会社のある部の忘年会。幹事を指名されたある課長はグルメ雑誌を調べたり若い部下の意見を聞いたりして店と予算などを決めた。ところが、幹事を指名した部長が使い込みがバレて辞めさせられ新しい部長が来ると「店が気に食わない」「予算が高すぎる」と言い出し(店と特別な関係があるんじゃないの)と疑われたりもした。そこで、再びいろんな人が集まって見直した結果「店は変更しないが予算は料理を一品削り一人当たりの負担を500円安くすることになった。次の日の朝礼で部長は高らかに言い放った「私、改革派だから」と。