墓参り
還暦を過ぎたころ分家のものは本家の墓には入れないことを知った。ならば自分の骨は海にでも撒いてくれと思ったがそれも結構面倒らしい。そこで昨年自分のための墓を買った。そして空だと寂しいから亡母の骨を分骨してもらい納めた。納めると盆と正月くらいは墓参りをすることになるが、お盆の墓参りは大変なことを知った。墓地への道が墓参りの車で混雑するのである。
もうひとつ思ったことがある。反抗期真っ盛りと思われる若者たちが神妙な顔をして両親と一緒に先祖の墓にお参りしているのを見たとき墓参りは家族を取り戻す役割を果たしているのかもしれないということだ。海に撒くより墓を買ってよかったと思ったものである。
いじめについて思うこと
いじめられていた子が自殺する。マスコミが騒ぐ。悪いのは教師、いや教育委員会。
えッ!悪いのはいじめた子じゃないの。いじめたのは良い子・悪い子・普通の子のどれ?。多分いじめている子は悪いことをしていると思ってなさそうだ。だから犯人は普通の子。こいつらにガキのうちから叩き込め。「いじめは悪いこと。大勢でいじめるのは卑怯者のすること。いじめ続けると罪になる」と。
政治家という仕事
サラリーマンとして40年ほど平凡に働いてきた。やがて定年を迎え老人と言われるようになると乗り古した車のようにあちこちの部品が痛み病院通いが増えてくる。若くて元気だったころは医者に感謝の念を覚えたことはなかったが今は治療してもらうたびに「ありがとうございました」と言うようになった。サラリーマンはせいぜい自分と自分の家族しか幸せにできないが医者という仕事は多くの人を幸せにできる。
同じように、頑張れば多くの人を幸せにできる仕事がある。教師であり政治家である。
最近、政治家のおかしな言動が問題になっているが「多くの人を幸せにしたい」という政治家としての基本的な思いが欠如しているのだろう。
会話を楽しむ
中学時代の親しい仲間数人と年に3~4回ほど食事会を今でも続けている。
以前は夜居酒屋などで行っていたが後期高齢者となってからはファミレスでの昼食会に変更した。ファミレスのいいところは時間に制限されないところである。従って、12時に集まって3時間くらい昼食を食べながらおしゃべりを楽しむのが通例となっていた。
ところが前回は違っていた。いつもの通り3時ころ解散したのだが帰っていったのは男だけで女性陣はそのまま居座ってさらに2時間ほどおしゃべりを続けたらしい。
女達がこんなに長い時間会話を楽しむことができるのは思うに「生活の話」をするからだろう。男どもがする趣味とか時事問題などでは意見の違いがあって会話を楽しむということにはならない場合が多いが生活の話だと意見の衝突は起こらないのだろう。
会話を楽しむことができる女どもはうらやましい限りである。
ある天下りの話
会社に入って数年が立ち社会のことが少しづつ分かりはじめたころのことである。
定年まじかの私の上司がある日を境に突然子会社のある管理職の一人を毎日のように怒り始めたのである。それがひと月あまり続くとその管理職の人はノイローゼ気味になりやがて降格になってしまったのであるがその空いた管理職のポストに定年を迎えた私の上司が天下ったのである。さらに付言すれば降格された管理職の人は勿論子会社のプロパー社員であった。50年位昔の話である。今どきの若者は・・・とよく言われるが当時はこういう管理職があちこちにいたのである。彼らは若い時代を戦争の中で過ごした人たちであることも付け加えておく必要があるように思う。