もう笑うしかない
「レーダーを当てた」と言えば「いや威嚇しただろう」と問題をすり替える。
おまけに、証拠にもならないような映像を持ち出して「機械は嘘をつかない」とまで仰る。思わず子供の頃「インデイアン嘘つかない」と言って遊んでいたのを思い出した。
韓国世論は「もっと強硬に反撃しろ」と言っているそうだ。一方日本では「キチンと反論すべき」と言っているようだが大多数の日本人はそれが無駄なことだと思っているに違いない。怒っても無駄なら笑うしかないないだろう。
日本のマスコミが韓国の反日的行動をすぐに報道するように、韓国のマスコミにも日本が笑っていると伝えてもらいましょう。それが一番効果的ではないでしょうか。
追記。 今日本で働いている韓国の人からは将来「日本に働かされた」と苦情を言わないように誓約書でも取っておきましょう。テレビによく出ている金先生とかから。
シートノック
中学生の頃野球部にいた。当時先輩が来てよくシートノックをしてくれていた。世に言われる千本ノックは流石になかったが時には50本くらいの中学生にとっては大変厳しいノックはあったと思う。
今国会では連日与党と官僚が厳しいノックを受けている。ノッカーは勿論野党である。
野党が浴びせる厳しいノックで与党と官僚は政治を担う能力を高めることにつながるのかもしれないが野党はノックが上手になるだけかもしれない。野党の皆さんー上手なノッカーと言われて満足していてはいけませんよ。
神事
子供の頃、近くの小さな神社に土俵があってよくそこで相撲を取っていた。町内にはもう一つ火祭りで有名な大きな神社があってそこにも土俵が設えてあった。その土俵で町内の「子供相撲大会」に出たこともあるから相撲が神社と縁深いものであることはよく理解できる。とは言え当時から極まれにしか使われなくなっていたため神社の土俵は「相撲は神事」というほど立派な姿を保っていたわけではないのだ。だから「相撲は神事だった」と言うべきだろう。
相撲を神事・神事と力説されると素朴な疑問がわいてくる。即ちどの神様に奉納するの?とか神事なら体育館ではなく神社でやるべきでは等々。そして神事と思って相撲を取っている力士はいないと思うが神社でやればそんな力士たちにも神事感が湧いてくるかもしれないではないか。
遅れてきた反抗期
「子供は幼児期から3度の反抗期を経て大人になるものです」妻の心因性の病気の原因が酒乱の父の暴力から逃れるため常にいい子を装って過ごしてきたことにあると心療内科の先生から聞かされた時の言葉である。
昨今のワイドショウでよく取り上げられている貴乃花が大事な会議の場でふんぞり返って座っている姿を見ていると自分も高校生のころー即ち三度目の反抗期の頃気に食わないことがあるとこういう態度をとっていたことを思い出してしまう。15歳のころから厳しい父親のもとで反抗もせず稽古・稽古で明け暮れていたのだろう?
先の妻は40を過ぎるころから思春期の女子高生のようにふるまい出した。犯行の向け先は勿論私にであった。彼の遅れてきた反抗期が今協会に向けられている。相撲評論家・相撲ファン・弁護士・タレントなどの意見は聞き飽きたので心療内科の先生の意見を聞いてみたい。